いいじま歯科クリニック 院長 飯島 浩
笑顔のあふれる
そんな歯科クリニックにしていきたい
私たちは、新発田市 いいじま歯科クリニックを次のような、地域を代表する医院と していきたいと考えております。 これまでのような、「痛い」「怖い」「行きたくない」というイメージの歯科医院 ではなく、患者さんが喜んで、楽しく、行きたくなるイメージの歯科医院にしたい と思っております。
また、治療だけではお口の本当の健康を保つことは難しいのが現状です。 そこで、 当院を予防中心の歯科医院にしていきたいと考えております。 私たちは、もう、 あなたの歯を削りたくないのです。
また、患者さんとのコミュニケーションを大切にし、患者さんの笑顔と笑い声が絶 えない、 そんな歯科医院を目指しております。 ご自分の歯を健康に保つことによって、皆さんの人生がより素晴らしくなるように、 全力でお手伝いをさせていだだいきます。
院長ブログ「院長の独り言」経歴 | 1984年 日本歯科大学 新潟歯学部卒業 卒業後 日本歯科大学 新潟歯学部歯科補綴学 教室第二講座助手として10年勤務 1992年 歯学博士 授与 1995年 日本歯科大学 新潟歯学部の講師に就任 1998年 上越総合病院 歯科口腔外科医長として赴任 1999年 いいじま歯科クリニック 開設 1999年 日本歯科大学新潟生命歯学部 非常勤講師就任 |
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所属学会名 |
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専門分野 | 入れ歯、審美歯科、クラウンブリッジセラミック修復 |
スタッフから見たNo.1なところ | 勉強熱心で向上心があるところ |
一緒に働いている先生からひとこと | ・診療のことはもちろん、プライベートなことまでアドバイスいただき、尊敬できる先生のもとで働けることがすごく幸せです。今後ともよろしくお願いします。 ・いつも背中を見て、学んでいます。院長としてドクターとして、人として、どの分野でも寛大で深みのある人で、本当に尊敬しています。まだまだ未熟者ですが、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。 |
血液型 | B型 |
趣味 | ガーデニング、読書、人を幸せにすること |
動物占い | 社交家のたぬき |
ひとこと | 患者さんの幸せを創造できる歯科医院を目指しています。何でもお気軽にお話し下さい。 |
院長の生い立ち
幼少期の思い出
私は、岩手県盛岡市の南の紫波町という小さな町で次男として生まれました。
祖父も、父も歯科医師でした。昔の歯科医院は、大変混み合っていたため父親は、朝早くから夜遅くまで働きづめでした。
診療が終わってからも、母親と一緒に毎日夜中まで働いていました。このような家庭でしたし、さらに臆病な私は血を見るのが大嫌いで、歯科医師には決してなるまいと決めていました。
挫折を味わった高校時代
高校は、宮沢賢治や石川啄木を輩出した学校に進学しました。
勉強のレベルはかなりのものがあり、私の成績はひどいものでした。焦って勉強するのですが、なかなかその差は縮まりません。
ここで最初の大きな挫折を味わったのです。また、中学に続き高校でもテニス部に入りましたが、実は当時は県内でも有数の強豪校で、こちらでも大きな挫折を味わいました。
教師志望から歯学部志望へ
インターハイを目指していたクラブ活動も、3年生の夏前の県予選準決勝で敗れて終わりました。 当時、実は教師を目指していました。
そんな受験を控えた時期、初めて父親が私に、歯学部に進学してもらいたい気持ちであることを伝えました。
私自身歯科医師になろうなどとはそれまで一度も思ったことがありませんでしたので、自分のやりたい道と夢に反対する両親とずいぶんとぶつかりました。
最後は母親の「お父さんも、病弱だし、そんなに長生き出来ないんだから、親孝行だと思って歯学部に行ってくれ」の言葉に泣く泣く進路変更を決意しました。しかし、今となっては、そんな親心に心から感謝しています。
そんなゴタゴタがあって勉強も手につかない状態でしたし、志望校変更で受験勉強しなおさなければならない状態でありながら、父親は「決して浪人は許さない。」とむちゃくちゃな事を言うしで、受験勉強は短期集中の結構大変なものでした。しかし、この大学進学が私の人生の転換になったわけです。
患者さんに育てていただいた、大学医局時代
大学卒業後、大学医局に入ると患者さんを担当します。目の前に病気で困っている患者さんがいるわけですので、学生時代のようないい加減な気持ちは、この時点で一新していきました。
なんとか診療技術を習得しようと、自分なりに頑張って勉強した時期のことです。そこそこ診療ができるようになってきた3年目の時に、私の歯科医師人生を大きく変える患者さんと出会ったのです。
総入れ歯の患者さんで、どんな義歯を作っても、とにかく痛くてものが食べれない。ほとんど毎日の様に、病院に通って来ている人でした。技術の高い先輩でも手に負えない患者さんを担当することになり、とても気が滅入っていました。 案の定、私が診療しても良くなりそうにもありませんでした。
あるとき、偶然目にした、入れ歯の本に紹介されていた方法を試してみました。すると、次の診療の時、まだ私が何も声を掛けてないうちから、その患者さんが一気にまくし立てるように話し始めたのです。
「あなたのおかげで今まで食べることができなかった物が食べられたよ!」 「こんなに美味しく食べられたのは本当に久しぶりでした!」 「これから女房と旅行に行くことにしたんだ!」
私の両手をしっかり握って、涙を流しながらずっと話してくれたのです。 一番驚いたのは私本人です。あまり期待せず行った治療が、偶然にも長年苦しんでいた苦痛を一気に解決してしまったのです。 その後、奥さんも治療に連れてきまして、入れ歯の調子がいいにもかかわらず、私の診療にたびたび訪れてくるのが習慣になっていきました。
かなり高齢の方でしたが、入れ歯が快適で生きていることが本当に楽しくなったと、行く先々でのお土産を持参して、その時々の出来事や思い出を語っていかれるのでした。
しかしその後、その患者さんは末期のガンに侵されてしまいました。診療中も辛そうでしたので、奥さんに、無理に診療にお連れになるのは大変なのではないかとお話ししたところ、
「主人は新しい入れ歯ができることを楽しみに、先生とお会いできるのが生き甲斐で毎日精一杯生きているのです。どうぞ本人の望むままにさせて下さい。」と語られました。
そして、入れ歯の完成した日のことでした。奥様一人だけが来院されたのです。
「一昨日、主人は亡くなりました。最後まで入れ歯が入ることを楽しみにしていましたのですが…。」
天国で何でも食べれるようにお棺に一緒に入れてあげたいとのことで、入れ歯を取りにいらしたのでした。私は入れ歯をお渡ししながら、待合室で人目もはばからず奥様と一緒に涙しました。
その出会いを通じて歯科治療とは人の人生にとって大きな影響を与え、豊かな生活を提供させえる大切な仕事であることを気づかせてもらいました。
それ以来、患者さんを診療するに当たっては決して手を抜くことなく、誠心誠意診療するようになりましたし、よく勉強するようになりました。私の知識と技術が、患者さんの生き方を豊かにすることができることに大きな喜びと責任を感じるようになったのです。
この出会いが私の歯科医師としての始まりであったと思っています。
その後、嫌なことがあったり、辛いことがあるといつも多くの患者さんの笑顔が私の背中を力強く押してくれています。私の歯科医師としてのパワーの根源はそこにあります。
患者さんの、本当の健康への気づき~現在まで
大学病院では、補綴(ほてつ)科という、歯を削って冠をかぶせることが専門の科にいました。それなりに技術と知識には自信があったのですが、自分が担当した患者さんの状態が必ずしも長い間良好な状態を保てていないことに気がついたのです。
「歯を削ってどんなにいいものを入れても、それだけでは患者さんは幸せになれない」 と気付くには実はそんなに時間がかかりませんでした。
歯とお口の状態を保つには、正しいお手入れと、そして定期的なケアが欠かせないことに気づいたのです。治療から予防の重要性の変化に行き着いたのです。
しかし、大学は専門科制度ですので、私は予防の分野に手を出すことができません。 そこで、15年目にして思いきって「自分の理想の歯科治療が行える場」を目指し、開業を決意しました。
そして、今当院がある場所に無事に開業をし、現在に至っています。私たちは、「当院にいらっしゃる方が健康で、笑顔あふれる幸せな生活を送られる」ように健康を口の中からサポートすべくスタッフとともに、取り組んでいます。わたしは、もうあなたの歯を削りたくはないのです。
笑顔のあふれる、そんな歯科クリニックにしていきたいと考えております。
長い文章を読んでいただきましてありがとうございます。当院にて、あなたとお会いできること、そして人生の豊かさに貢献できることを楽しみにしております。